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主な行事 |
狭野伊勢講神楽 五百年以上の長い歴史を持つ狭野神楽は、高原町内にある霧島東神社に伝えられる祓川神楽と共に「高原の神舞(かんめ)」と呼ばれています。神武天皇や天照大神、また信仰の対象である霧島の山々に捧げる神楽です。 真剣を使う舞が多くあります、その中でも「踏剱」の中入りが有名です。大人二人の中に稚児装束の男児が入り、鬼神棒や神剣を得物に舞う神楽として知られています。 狭野の「神舞」の始まりは、盛大な「浜下り」によって幕を開けます。本殿より遷霊の儀を行い、御鳳輦を中心とした「木綿引き」といわれる結界に舞手や伶人が入り約一キロ先の斎場まで下ります。斎場祭の後、午後八時位から稚児の「一番舞」より始まり早朝「手力男」まで三十三番が奉納されます。また「御酔舞」と呼ばれる舞があります。これは、五合の酒を満たした瓶を得物に舞を終える迄に飲み干さなければならない舞ですが、その挙動は激しく新米舞手の登竜門にもなっています。師匠四名による「神師」はいづれの舞手の憧れでもあり、神刀を切り込み神歌を唱える様は神人合一の神楽として伝承されています。 |
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苗代田祭 (別称 ベブがハホ) 二月十八日に行われる「苗代田祭」は春を呼ぶ祭礼として、凡そ五百年前から伝わる五穀豊穣や子孫繁栄を願う田遊び神事です。方言では「べブがハホ」と呼ばれ、ベブは牛、ハホは身重の母のことを指します。春の訪れに感謝しながら水利を願い、神歌を唱え種籾を蒔きながら豊作を祈ります。神事中の問答は即興で行われ、世情風刺を交えて方言を用い面白おかしく語り、蒔種の道理を説く様子は観衆の笑いを誘います。 本祭は農業に基づく神事として発達してきました。狭野神社の主祭神である神武天皇は全国に稲作の文化を伝え広めた方で、その御神徳に由来する祭ともいえます。 |
棒踊 五月十六日の御田植祭に境内において奉納される伝統芸能です。慶長年間に義弘公の朝鮮征伐の凱旋祝いとして、薩摩藩の剣法「示現流(じげんりゅう)」を取入れ踊ったものが始まりとされてます。槍に見立てた六尺の棒、木太刀、薙刀、鎖鎌の組合を四人一組として踊ります。昔は二十四人で踊られていましたが、現在では十二人の三組で奉納されます。境内で踊りを奉納した後には、地区内の新築された家や赤ちゃんが生まれた家を訪れ祝い踊ります。一挙手一投足に気合を入れた勇壮な踊りとして伝えられていま す。 |
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奴踊 奴踊の起源は、新納忠元公が秀吉軍から八代城を守り切った際に武将たちが顔にひげを書き即興の歌と踊りで祝ったものが始まりとされています。それ以降広く薩摩藩に伝わり、戦前までは楽と踊りのどちらかが尽き果てるまで続く威勢のいい踊りだったようです。狭野の奴踊りは心の嬉しさを顔に表し、可愛らしく楽しく踊り祝います。 |
その他年中行事
大祭 例祭 祈年祭(春祭) 新嘗祭(秋祭) |
十月二十三日 二月十八日 祈年祭に引き続き苗代田祭(別称ベブがハホ) 十一月二十三日 |
中祭 歳旦祭 元始際 紀元際 神武天皇祭 御田植祭 神嘗祭 明治祭 天長祭 水神社春祭 水神社秋祭 |
一月一日 一月三日 二月十一日 建国記念式典と日本発祥地まつり 四月三日 五月十六日 棒踊、奴踊奉納 十月十七日 十一月三日 二月二十三日 五月十八日 水罔女神を祀る 十一月十四日 大山祗神を祀る |
小祭 月次祭(つきなみさい) 成人祭 節分祭 春分祭 子供の日祭 献灯祭 夏祭 秋分祭 体育の日祭 皇子原神社春祭 皇子原神社秋祭 除夜祭 |
毎月一日 一月成人の日 二月三日 三月春分の日 五月五日 七月二十三日 八月第一日曜日 九月秋分の日 十月十日 四月八日 十月六日 十二月三十一日 |
特殊神事その他 祖霊殿慰霊祭 苗代田祭 大祓式 戦没者慰霊祭 狭野伊勢講神楽 |
九月第三土曜日 二月十八日祈年祭に引続き 六月三十日 十五時、十二月三十日 四月二十二日 十二月第一土曜日 |
住所 宮崎県 西諸県郡 高原町大字蒲牟田117番地 狭野神社 電話番号 0984-42‐1007 FAX 同上 祈願の受付時間 午前9時~午後3時迄、朱印等4時迄 お問い合わせ |